【日本の子供とホンジュラスの子供】虎頭恭子(看護師)

2001年7月より2003年7月まで、中米ホンジュラス国に青年海外協力隊として行った。ホンジュラス国は中米5カ国の一つであり、四国ほどの面積を擁する。人口は660万人、中米・カリブ地域ではハイチについで貧しい国である。ホンジュラス人は、日本人のようにほぼ皆が同等のレベルの暮らしをしているわけではなく、他の中南米の国々同様貧富の差が大きい。

ホンジュラスと日本の子供の違いは子供同士の触れ合いの量だと感じた。ホンジュラスは他の途上国に違わず子供が多い。兄弟だけでなく、従兄弟やそのまた従兄弟という大家族であり、遊び相手には事欠かない。また兄弟の面倒をよく見る。全ての子供が小学校を終了できるわけではないが、学校に行かなくても、人との触れ合いの中で逞しくなっていく。そしてよく働く。小学校は学年によって午前か午後なので、それ以外の時間は店番をしたり、家で作った野菜を洗面器一杯に入れて売りに行ったりする。女の子は、下の子の面倒を見たり、洗濯を手伝ったりと男の子以上によく働く。この地方の主食である、トウモロコシを轢いて作るトルティージャも小さい頃から上手に作る。

しかしテレビやゲームが普及し始め、子供同士の触れ合いを通した遊びではなく、ただ受身で時間を過ごす子供が増えているのも現状である。特に裕福な家庭の子供ほどその傾向は強い。そして家庭が裕福になれば、子供への教育に力を入れたいという希望から自然に子供の数は減り、親が子供に掛ける手間が増えるのである。現実には、小さい頃からミルク哺乳で育ち、常にお菓子やコーラを口にし、ゲームやおもちゃの屋内遊びが増え、どこへ行くにも親が車で送り迎えをした結果、一見体つきは大きいが軟弱な子供が増えている。一般的には、病気になって治療できなかったり、予防可能である病気になって死んでしまったりする子供たちは貧困な家庭に多いが、子供自身の逞しさは、裕福で甘やかされればされるほど減退している。それは子供の体つきや眼力に歴然と現れていると感じた。

これと同じ現象を日本でも見ることが出来る。日本人は驚くほど子供に手を掛ける。先日訪れた保育園では外に出るたびに石鹸で手を洗い、服を着替えさせ、毎食ごとに違う涎掛けを使う。そこまで綺麗である必要があるのか、少々疑問に感じた。子供なのに汚れていないのである。

ホンジュラスの村では子供に必要最低限のことしかしない。子供は汚れていて当然であり、汚れたら体を洗う、日本のように汚れる前に体を洗ったり服を着替えさせたりはしないのである。あまりにも親の目が子供に行くばかり先に予防してしまう、子供の危険を親が保護してしまうのである。子供の数が減ると必然的にそうなるのだろうか。

昨今日本の少子化の問題は切実である。女性の雇用環境がその原因とされて対策も採られつつあるが、私は親の過保護がこの一端を担っていると思う。子供を持つと手がかかる、金がかかる、掛け過ぎの子育て論がまかり通っているのではないか。人々は自分の経験を基に子育てをする。特に核家族化が進めば、それに口を挟む人はいない。分からない時は、本や雑誌から学ぶ母親も多い。実際、自らが子育てを行なうことになればどこまで非過保護でいられるかは不明である。しかし、なぜ軟弱な子供たちが増えているのか、何に原因があるのか、何を変えられるのか、社会や個人が考えるべき時代が訪れているのではないかと思う。